なぜ私はサイドバーを右にしたか?

前回の記事「経験からクリック率が高いと思う場所」にコメントありがとうございました。

結論から言うと、このブログの右サイドバーに何か置いても、目に入らない。
目に入らないのだから、たとえばそれが広告であったとしてもクリックされない。

そういう結論になるわけですが、その結果が得られただけでも実験の成果はあったと思います。

書いてあることが、広告ではなく、読者の利益になることなのだから、敬遠された結果ではない。
純粋に目に入らないポジションなんだと思います。

今回は、その結果に関する考察です。

まず、いただいたコメントで気になるのが、Rさんが書かれたこれ。

デザイナーさんから教えて頂いた、人間の視線の習慣は
左から右、上から下。メインのコンテンツ見ながら
視線を下におろすと、いってらっしゃる場所は見ないです。
私の場合、かもしれませんが。

結論はRさんの場合だけでなく、みんな見なかった。

Rさんも、自身の記事「無料プレゼント(Amazon編) たかがアフィリ」で薦めているアマゾンの公式ブログに、こう書いてあります。Amazon アソシエイト・プログラム(アフィリエイト) 公式ブログ: 「ユーザーは説明を読まない」~短時間でアピールするサイトデザインより

Webサイトを閲覧するとき、人の眼は左から右に、上から下へと動きますから、必然的にページの左上が至上の場所となります。通常Webサイト名や、ロゴ、サイトの簡単な説明などの重要な情報はこの位置に置くことになります。もしもあなたのサイトのタイトルに、サイトの内容を想像できる言葉を使用していない場合は、ページトップ上部で、内容を「ごく簡単に1行程度で」説明しておくと、ユーザーが内容を理解する手掛かりになります。

このブログ記事は自分もアフィリエイトをはじめた時に読んで、非常に参考になると思いました。
今回、テンプレートを作り替える際も、念頭にはありました。

でも、このブログでは敢えて、右にサイドバーを置いています。
これは意識的にやっています。ですから、記事中に広告を入れない限り、広告スペースも右になります。

記事中に四角いスペースの広告を置くなら、自分は左に置きます。
理由は、上に書いてある通りです。

Yahoo!JAPANのトップページの広告は右上

敢えて、サイドバーを右にしたのには、3つの理由がありました。
そのひとつが、「Yahoo! JAPAN」のトップページです。

Yahoo! JAPANはトップページの広告を右上に置いています。
自分がはじめてYahoo! JAPANのページを見たときから、これは変わらない。

ということは、Yahoo! JAPANとしては満足できる結果がでているのではないか?と考えました。
自分より人気サイトがやっているのだから、真似てみる。これは、ひとつの考えだと思います。

日本の新聞は基本、右上から読みはじめる縦書き

Yahoo! JAPANは、なぜ広告を右の上に配置したのでしょうか?
それは、私にはわかりません。

ただ、最初に上の、アマゾンのブログを見た時から、ずっと思っていた感想があります。
「それは欧米人の考えだ!」

産経新聞などは違いますが、朝日新聞や東スポは縦書きです。
特に「東京スポーツ」にとって、右上の縦に書いた見出しの出来は死活問題です。

東スポのレイアウトは、東スポWebにある「本日の紙面」で確認出来ます。

東京スポーツ – Wikipedia」より

「マドンナ痔だった」、「落合家チンポ丸出し放送」、「聖子輪姦」、「人面魚重体」、「大仁田爆死」、「フセインインキン大作戦」、「ダイアナ大胆乳」、「阪神次期監督上岡龍太郎」、「宇宙人化石発掘」「小向美奈子殺される」など、1面の奇抜な見出しが特徴。これらの見出しの下には小さく「?」「か」「も」「説」「絶叫」などの言葉が書かれ濁されていることが多いが、それらは新聞スタンドに陳列されている状態や折りたたんである状態では見えないように紙面のつくりが計算されている。

東スポの見出しは、ロマンだ!いや、そんなことはいい。
日本人は縦にものが読めるのです。

野茂英雄がアメリカ大リーグに渡って大成功したのはフォークボールという武器があったから。
フォークボールとは、縦に落ちる変化球です。

この当時、誰だか忘れましたが、これを解説してこんなことを言っていました。

「日本人は本を読むときでも、縦に目を動かすことに慣れている。欧米人がフォークボールを打てないのは、横書きだからじゃないか?」

これは、問題点を言い得ているのではないでしょうか?
そうだとしたら、生活習慣で、目の動き、目につく場所というのは変わるのでは?

そう考えたのが、もうひとつの理由です。
しかし、ブログその物が、左から右への横書きである以上、この考えは当てはまらないのかもしれません。

「Yahoo!JAPAN」の広告は右上、「東京スポーツ」の見出しは右上(「か?」は折り目の後に来るようにする)
こういったことから、このブログではアフィリエイトのスペースを右に用意しました。

スクロールバーは右にある

そしてサイドバーを右にした、もうひとつの理由は「ユーザビリティ」の向上です。

ブラウザのスクロールバーは東洋、西洋関係なく、OSの種類も関係なく、みんな右側にあります。
これは、人間の多くが右利きだからです。

マウスを持つのは、多くの場合、右手です。そのマウスに近い所に操作関連のものはあった方がいい。
スクロールバーが右にあるのは、そういう理由だったはずです。

つまり、マウスで操作するもの、ドラッグしたり、クリックしたりするものは1ヵ所に集めた方がいい。
そう思って、スクロールバーの近くにサイドバーを持ってきました。

結論

結果として、読者が意識して探す物は右で問題ない。
ただし、意識して探さない広告などは、目につかない確立が高いのでは?

というデータになりました。
今後、さらに、実験と分析を進めていきたいと思います。

経験からクリック率が高いと思う場所

ちょっとアンケートしたいんですけど、このブログの右上にある
「ファンブログユーザーの方々へ」というブロック、これって目に入りにくいですか?

今までの経験からすると、単純なクリック率だけでいうと、
もっともクリックされるのが、記事の終了直後。これは間違いない。
2番目はサイドバーの最上段だと思っているんですよ、自分は。

それで、サイドバーの一番上に「ファンブログユーザーの方々へ」というのを出したんですが
はじめてうちに来た人のあしあとを見てみると、高い確率でプロフィールページを非公開にしたまま。

つまり、見られていない。

全部のあしあとを見ないので、たまたま自分がチェックするのにそういう人が多いのか?
高い確率でそういう人を選んでいる?特殊能力があるのか?

よければ、目立つかどうかコメント欄へご記入いただけないですかね?匿名でいいので。
もし、意味がないんなら一番上を広告に戻そうかと思うわけですよ。

目立たないのか?目立っても見ていないのか?

毎日トップページだけにアクセスして消える人、これ結構います。

更新があろうとなかろうと必ず、トップページだけにアクセスして、絶対に1ページビューしかしない。
絶対に記事を開かない。そういうポリシーを持って、あしあとを残されていかれる方って、
ファンブログには結構います。で、そういう方でプロフィールが非公開の人って確率高いです。

まあ、どーせ見ねーんなら、意味ねーから広告に戻そうかということです。
そうじゃなくて、目立っていないからわからない、というのなら見せ方を考える必要があると思うのです。

コメントをいただければ幸いです。

追記。結果の考察記事を書きました。「私はなぜサイドバーを右にしたか?

リンクを受け、紹介されやすい記事とそうでない記事

ここ数日で、うちに、はじめてコメントをもらったけど、記事でリンクして紹介しているブログと、していないブログがある。内容がリンクしていない記事は紹介のしようがない。その点は了承してほしい。

そもそも、リンクというのは、どういう時に張るのだろうか?
自分がどういう時にリンクを張るかを考えてみると、だいたい次の時だ。

  • 面白いと思ったり、感激したり、感銘を受けたとき
  • 参考になった情報源、補足、裏付け
  • 商品紹介

面白いと思ったり、感激したり、感銘を受けたとき

これは純粋に、いいと思ったページを紹介すること。Twitterでリツイートするなんていうのも、動機としてはこれに属する。

この中には、面白かった映画や、気に入った曲、おいしかった店、料理なども含まれうるわけで、「商品紹介」とかぶることもある。

参考になった情報源、補足、裏付け

記事を書く上で、ベースになった情報、または、記事を書こうと思う発端になった話題など。

出てきた言葉の説明であったり、引用と共に使われることも多い。また、自分の書いた別記事に内部リンクする事も多い。

商品紹介

アフィリエイトであることが多いが、そうでない場合は、面白かった映画の「公式サイト」や、おいしかった「店のホームページ」などへのリンクである。

大雑把に言ってしまえば、以上のようなカンジになる。

最初の2つ「面白いと思ったり、感激したり、感銘を受けたとき」と
「参考になった情報源、補足、裏付け」に関しては、そのままそのページへリンクを張って紹介する。

では三つ目「商品紹介」に関しては?

これは映画が面白かったなら、その映画の「公式サイト」へ、
おいしい店があったなら、その「店のホームページ」へリンクを張るだろう。

他のブログで、その映画を紹介していたり、その店を紹介していたりしても、自分のブログからはリンクを張ることはまずない。

なぜなら、そういうリンクを張った記事では、自分が映画や店に感じた感想、レビューを書く。自分がレビューを書くのであるから、他のブログのレビューは必要ない。だから、リンクはしない。

ましてや、それがアフィリエイト記事であったなら、みすみす他所に客を流すことになるので、大抵の場合リンクは張られないだろう。つまり、自分がアフィリエイターである場合、他のアフィリエイト記事へリンクを張ることはない。それは顧客の流出である。

そういった事情でアフィリエイト記事というのはリンクを受けにくい。

例外として、リンクを貼られているのは、次の2つだ。

  • アフィリエイターではない、純粋なブロガーが、素直にいいと思った物を紹介している場合
  • アフィリエイター自身の自作自演

上の場合であるならば、多分本当にいい物なんだろうと思うが、自演かどうかの判断は難しい。

一つだけ言えるのは、まったくアフィリエイトを貼っていないページがアフィリエイトと無関係とは言いきれないということ。アフィリエイトを貼っていないページから、自分自身のアフィリエイトページへ誘導すればいいのだから。曰く世の中は難しい。

ブログは毎日更新するべきか?

ブログは毎日更新するべきか?

あくまで個人の考えですが
結論から言うと全然そんなことはないと思う。

ましてや、ブログをはじめたばかりの頃なんて、どうせ誰も読んでねー。

人気が出て、更新を楽しみにしてくれる読者が、たくさん出来たならともかく、
だれも読んでねえんだから、安心してゆっくり書けば?

ということでした。
以上、まとまってしまった。

以下、補足。

たとえば、ホンの2~3日で誰の目にも止まらなくなる、アクセスが100の記事を100個書くのと、
たった1個の記事だけど、何日も開かれ続け1万人に読まれる記事。この2つのどちらがいいか?

アクセスの数字だけで言えば、どちらも1万で同じ。
では、レジェンドは?

たった100人しか読んでくれない記事が100あっても、1000あっても、
所詮アクセス100しかない記事の集まり。何の印象にも残らない。

逆に、たったひとつしかない記事であっても、多くの人の印象に残れば、影響は大きい。
「ああ、あの記事か!知ってる!知ってる!」

重要なのは心に残る記事。

つまらねー記事書き溜めるなら、じっくりと時間をかけて印象に残る記事を書いたほうがいい。
それが出来るのは、ブログ開始当初だ。

で、実際ある程度の読者がつくと、最低基盤みたいな土台が出来て、
放っておいても、それなりのアクセスはいくようになる。

すたれない記事を書こう

まあ、それにあぐらを書いて読者を無視すれば、土台も崩壊するだろうけど。

このブログの場合は古い記事ほど、よく読まれている。

正確に言うと、どのページも一日のアクセス数はそれほどでもないが、毎日何人かに読まれている。
だから、自然とトータルでのアクセス数は古いものほど多くなる。

最悪なのが書いて数日で埋もれてしまい、もうそれ以降誰の目にも止まらないページ。

そうは言っても、心に残る記事なんて書けねーよ。
と、考える輩も多いだろう。当然だ。俺も書けない。

では、どうすればいいのか?

その質問には、こう答えるしかない。
とりあえず、書いてみれば?

安心しろ!
お前の記事など、誰も待っていない。
だから、無理して更新する必要はない。

でも書きたいなら、どんどん書け!
質は後からついてくる。

質の悪いのは後から書き直すなり、捨てるなりすればいい。
どうせ誰も読んでないんだから!

アフィリエイトとして考えた場合

では、アフィリエイトを考えた場合、更新頻度は多い方がいいのか?

これも個人的な見解でしかないが、更新頻度は関係ない。
ニーズに合った記事であれば、何日経っても売れる。

実際、先月も1年前の12月に書いた記事から売り上げが出ている。
で、実はそのブログ去年は1回も更新しなかった。

重要なのは更新頻度ではない。記事完成度だ。

本当のことを言うと、自分自身はブログでアフィリエイトは儲からないと考えている。
ある程度は売れるけど。

販売を目的にしたサイトの方がいいと思う。その方が売れる。
反論はあるかもしれない。でも自分は、そう思う。

販売を目的にしたサイト。つまり、完成されたページだ。

ブログというのは永遠に完成しない物語のようなもの。

完成していない工事中の店よりも、完成された店の方が
落ち着いて買い物が出来るのではないだろうか?

例外

たとえば、詩集であったり、エッセイであったり、画集であったり、
アートな作品集というものはブログに向いているのではないかと思う。

Happyサイト ~ 楽key

こういうページはいつまでも読みつづけたいと思うから、完成しないほうがいい。

アクセスを上げるための本質をわかっていない

先日書いた記事「ファンブログのアクセス解析更新時刻」に、そこそこアクセスがあります。
こういう情報が欲しいのはファンブログユーザーだけなので、ほぼすべての閲覧者がファンブログの会員だろうと思います。

その記事、(ファンブログのみに)需要があるのにコメントはゼロ。

ここでグチなんですけど。
(今から書くことはこのブログの日頃の記事と矛盾しているかどうかは最後に検証します)

自分の場合、こういう情報を提供してもらったら、お礼のコメントを入れるんですわ。
記事を書くのに、調べたりして参考になったブログへは情報源として、リンクを張る。

そういったところから自然とアクセスが増えてくる。これは冗談じゃなしに、事実です。
詳しくは書きませんが、お礼のコメントをひとつ書いただけで、月100アクセスくらい増えました。
そのアクセスは今も続いています。

で、ファンブログの場合のコメントの使い方は、ホンッとに理解できない。

どう見ても、自分で書いてない、ただコピペしただけのアフィリエイト記事にいくつもコメントがある。
その一方、自分で言うのもアレですが、役に立った情報にはコメントせず。

あえてイヤらしい書き方しますが、どちらへコメントした方がアクセスアップに効果的か?

ただのコピペだけの1日100位しかアクセスのないブログにはコメントする。
その何倍もアクセスのあるブログから、欲しい情報を得られてもお礼を言わない。
これが、ホントにわからない。

自分は、自分よりもアクセスのある、影響力の高いブログにお礼をしました。
その結果毎月平均100アクセス程度増えました。

コピペ記事なんて、すぐに埋もれておしまい。
片や、こちらの記事は、おそらく長く需要のある記事となる。

どちらのコメント欄の方が人の目につくのか?
コピペ記事へのコメントをしたところで、返ってくるアクセスは、その記事を書いている人、つまりコメントの相手、ひとりだけ。

たとえば100人にコメントをして回ったとします。
それをするのに、どれくらいの時間が必要ですか?

相手のブログを読まず、ひたすら同じ文面を張り付けて回ったとして、
100件コメントするのにどれだけの時間がかかりますか?

時間をかけて100人にコメントをしても返ってくるアクセスは100だけです。
一方、影響力のあるブログに取り上げてもらうだけで、1000や2000のアクセスはすぐ行きます。

別に、このブログに影響力があるわけではないです。
ないですけど、1日100アクセス程度しかないブログよりはあります。

書くことが何もないのに、感想を無理やり考えてコメントを書いても、アクセスアップなんてその程度しかできません。

アクセスを上げたいなら、なんでもっと頭を使わないのか?
全然わからない。

自分は役にたった情報には必ずお礼のコメントを残します。
それだけでアクセスは増えます。

さて、ここで、この記事が普段の自分の主張と矛盾しているかどうか?
全然していないと思います。

自分は、以前書いた「コメント記入コスト」という記事のコメント欄で、こう答えています。

自分はコメントが嫌いなのではなく、
書くこともないのに無理やり書いた読書感想文みたいなコメントが嫌なだけです。

書くことがないなら、書かなければいい。
でも、ファンブログを見て回ると、そんな読書感想文が多いのではないかと思います。

アクセスをアップさせたくて、無理してコメントを書くのなら、どんなに頑張っても1日数十アクセスしか増えません。

この考えを、改めて書いたのが今回の記事で、まったく矛盾しているとは思いません。
コメント記入コスト」の記事本文で、こう書いていますが

コメントの返事を書くのに要する時間を記事執筆に回せば、もっと記事を書けますし、同じ記事の量であれば記事の質が上がるでしょう。

これは、無駄なコメントに要する時間を減らせと言っているのであって、コメントは不要だとか、必要なコメントも減らせだとかは言っていません。

そもそも、あのコメントのやりとりをしている相手ランスロットと知り合ったのも、彼からお礼のコメントをもらったからです。

ファンブログのユーザーはアクセスを上げるための本質をわかっていないと思います。

と、長々と書いたけど、今回は愚痴だ。お前ら、参考になったんなら礼ぐらい言えよ。
まあ、書きづらい雰囲気を作っているこちらにも問題はあるけどな。

ただ、Web上にある情報やデータは勝手に使っていいもの、フリーのものという考え方をしている人が多いと思うけど、それは間違いだ。スマイルだって0円するんだよ。

勝手に使っていいもの、フリーのものという考えが常識になったらおそらく、情報を提供する個人はいなくなる。

個人がいなくなって企業だけが情報を提供するようになれば、それは偏ったモノになる。インターネット以前の、新聞やテレビの情報が絶対だった時代へ戻ることになるだろう。

続編書きました 「無知で不幸な読者よ。良いことを教えてあげましょう。